自己受容の話を続けます。今回は、その中でも特に向き合いにくい部分に踏み込みます。
誰の中にも、あまり見たくない自分がいます。嫉妬深い自分。臆病な自分。人を羨む自分。認めたくない、できれば見なかったことにしたい部分です。
誰にでもある「見たくない自分」
この「見たくない自分」は、特別な人だけが抱えているものではありません。程度の差こそあれ、誰の中にも存在します。
ただ、多くの人はそれを隠そうとします。人に見せないだけでなく、自分自身に対しても見ないふりをします。
「自分はそんな人間じゃない」
そう思い込むことで、一時的には楽になります。
隠す・否定するほど、コントロールを失っていく
ところが、隠した部分は消えてなくなるわけではありません。むしろ、見ないようにすればするほど、その部分は自分の知らないところで顔を出すようになります。
たとえば、嫉妬深さを認めていない人ほど、些細なことで急に不機嫌になったり、理由の分からない苛立ちを相手にぶつけてしまったりします。本人は「なぜこんなに腹が立つのか」自分でも分かっていません。
これは、見ないようにしてきた部分が、コントロールの効かない形で表に出てきている状態です。隠すことは、消すことではなく、管理を手放すことに近いのです。
認めることは、許可することじゃない
ここで大事な区別があります。「認める」ことと「許可する」ことは違います。
嫉妬深い自分を認めるというのは、「嫉妬してもいい」と許可することではありません。「自分にはそういう部分がある」と、ただ把握することです。
把握して初めて、その感情が動き出した瞬間に気づけるようになります。気づけば、行動として外に出す前に、選び直すことができます。見ないふりをしている間は、この選択肢そのものが存在しません。
弱さを認めた人間の方が、実は安心感を与える
以前、ポリヴェーガル理論の話をした際、腹側迷走神経系が優位な状態——つまり自然体でいられる状態——が、周りに安心感を与えるという話をしました。
弱さを隠し、常に強く振る舞おうとしている人は、実は緊張状態にあります。その緊張は、相手にも伝わります。
一方で、自分の弱さを把握し、それを受け入れた上で自然に振る舞える人は、身構える必要がありません。この「身構えなさ」こそが、一緒にいて楽だと感じさせる正体です。
今日やること
自分の中の「見たくない部分」を、ひとつだけ思い浮かべてみてください。
それを誰かに話す必要はありません。ただ、心の中で「自分にはこういう部分がある」と、静かに認めるだけで十分です。
隠している間は、それに振り回される。認めた瞬間から、それを扱えるようになる。
次回は「自己変容は、性格を変えることじゃない」という話をします。「変わろう」と決意しても続かない、その理由に触れます。

